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身近な人が認知症に!私が体感した関わり方3つの教訓

      2018/08/22

 
はてな いよいよ高齢化社会が身近に感じられるようになり、認知症も誰もがなりうる病気として、ひとごとではいられなくなってきました。

そうはいっても、私自身も軽く考えていて、身内が認知症になった時のことを真剣に考えるのはもう少し先でいいやと、のんびり構えていました。

しかし、事件はいつも突然起きるもので、実は先日、私の身にも大変ショッキングな出来事が起きてしまったのです。

今回は、そのショッキングな出来事から認知症の身内との関わり方について真剣に考えてみました。

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父の身に起きたショッキングな出来事とは!

私の父は今年で84歳になりますが、耳が遠くなり、補聴器を使ってもコミュニケーションをとるのがかなり大変になってきました。

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父はからだも歳相応にガタはきているものの、一般的な80代の中ではしっかりしているほう。

また、物忘れは多くなったものの、口も達者だし、まだまだ認知症は大丈夫かな、と思っていました。

ところが・・・

年が明けてからここ最近、私は一人暮らしをしている父に、毎月電話をして体調を確認し、月1回は実家に顔を出すようにしたのですが、先日電話をすると、いつもと様子が違うのです。

電話口で、いきなり

「お前何か隠しているだろう」

と。

いつも、実家に訪問する前日に電話を掛けているのですが、
普段は穏やかな父がそのときは激昂して

「明日来るのか、じゃぁそのときゆっくり話そう」

と言うなり、早々に電話を切られてしまいました。

確かに私は父に、金銭的援助はかなりしてもらっていますが、その都度相談してお互いに合意の上で事を進めてきました。

一体、父は何が言いたいのでしょう?

不安を抱えながら仕事が休みの翌日、実家を訪問してみると、父はいつものようにカラオケの歌詞カードを見ながら鼻歌を歌っていました。

しかし私の顔を見るなり、

「金が必要ならちゃんとそう言えばいいだろ、黙って持って行く奴がいるか!」

と。

よくよく聞いてみると、

「引き出しにしまっておいたはずの100万円がなくなっていて、引き出しもいつの間にか右と左が逆になっている」

というのです。

つまりは、私がこっそり100万円を盗んで、そのとき引き出しも逆に入れたのだろうと決めつけているのです!


実は、次男の私立中学入学時に、必要準備金として父に援助してもらった額が100万円。

そうなんです。

父は、

息子である私に100万円を貸したことをすっかり忘れていた

のです。


父の言い分は、この家に出入りするのは息子である私と、週2回通ってくるヘルパーさんくらい。

家を荒らされた形跡もないし、一番怪しいのは私だというのです。

そのとき私は、これは認知症の症状に違いないと悟って、大変なショックを受け頭がクラクラしてきました。

と同時に、もしかしたらこのまま誤解が解けずに、親子の縁断絶まで行ってしまうかもしれないとさえ思いました。

そのくらい、父は普段からは想像できないくらい激昂していました。

これは、とにかく何としてでも誤解を解かねばと思い、私も全エネルギーを使って、父に経緯を思い出してもらうよう説明しました。

お金を借りるとき、妻が書いた借用依頼の手紙と、その場で、私が直筆で借用書を作成して父に渡したので、証拠としてそれらを探すことが先決です。

それこそ、父立会の元、泥棒のごとく引き出しの中身をひっくり返して探したところ、妻の書いた手紙は出てきましたが、借用書は見つかりませんでした。

あのとき妻に手紙を書いてもらっておいて本当に良かったです。

手紙の文言に100万円という額が明記してあったので、借用書は見つからなかったけどこの手紙が証拠だと父に必死に説明。

ようやく思い出したか、さいごは、

「俺もボケちゃったかなぁ」

と、しょんぼりしつつ、私を犯人と疑ったことへの謝罪の言葉も口にしてくれました。

もちろん私に怒りの感情など微塵もなく、あるのは、誤解が解けた安堵感と、猛烈にエネルギーを使い果たした脱力感だけでした。

一時は、どうなるかと思いましたが、本当に、本当に、元の鞘に収まってよかったです。

と同時に、認知症という病と本気で対峙しなければならない時がついにやってきたか、という大きな不安感がのしかかってきたのでした。


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今回の出来事で得た3つの教訓

今回の私にとっての大事件から得た教訓を3つまとめておきます。

まず、父が怪しんだのは、年明けから急に私が実家に頻繁に足を運ぶようになったこと。

これで何か企んでいるのではと思ったよう。

そこで得た1つ目の教訓として、
一つ一つの行動には、それぞれその理由をきちんと伝えること。

人は言葉にして伝えなければ分からないものです。

なぜ頻繁に足を運ぶようになったかの理由は、父の体調が心配なので、まめに訪問するよう、ケアマネージャさんや妻からも言われているからだと説明しました。


また、父は耳が遠いため、あまり話しが理解できていなくても生返事をしてしまうところがあるので、

2つ目の教訓として、
話が本当にちゃんと伝わっているか、しっかり確認すること。

相手がわかったような返事をしたからといって安心してはいけません。重要な約束事は、最低3回は繰り返し伝えて確認する必要がありますね。


そして、今回は妻の手紙が証拠となって事なきを得ましたが、

3つ目の教訓として、
重要な約束事はお互いに書面として取り交わしておくこと。

たとえそれが、親しい親子の関係だとしても証拠は「お互いに」書面として残しておくべきでした。


さいごに・・・

とりあえず、今回は無事父の誤解も解けた訳ですが、今後、父はどうなってしまうのだろうという不安は増すばかりです。

もしかしたら、また次に訪問するとき、同じように忘れているかもしれません。

認知症というものについて、もっと深く知る必要があると痛感させられた出来事でした。


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 - ヘルス, 認知症